募金趣意書

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会長 井田 出海

佐賀藩十代藩主鍋島直正公(1814~71)は、天保元年(1830)、内憂外患の国情の中、襲封し、幕末の激動期に30有余年、藩主の座にありました。その間、逼迫した財政面を主とした藩政の改革をはじめ、長崎警衛を通じて得た西洋科学・技術を基礎に医学、軍事技術の刷新を次々と断行、日本で初めての洋式反射炉築造による鉄製大砲の鋳造、蒸気船の建造などを成功させました。

また、藩校弘道館の開放など徹底した教育改革を行い、医療面では種痘法をいち早く導入し、医業免札制度など優れた先見性を発揮し、卓越した科学技術力をもって明治維新の先駆的な役割を果たしました。「明治維新は一足先に佐賀で達成された」と、作家の司馬遼太郎は語っています。

直正公の偉業を顕彰し、英姿を後世に残す機運は明治末ごろに盛り上がり、生誕100年にあたる大正2年(1913)、大隈重信侯を委員長とする建設委員会によって、佐賀市松原(松原神社西側)に衣冠束帯姿の銅像が建立されました。県民には「銅像園」として親しまれましたが、残念ながら、金属類回収令により供出され、今、その偉容を目の当たりにすることはできません。

戦後の復興、高度経済成長期を経て、何度か有志による銅像建設の取り組みがなされましたが、実現に至りませんでした。しかし、直正公の先見性、国際感覚、人づくりと人材活用、経済面での海外交易や殖産興業の精神は時代を超えて学ぶべきものがあり、地方の活性化が叫ばれる今こそ、直正公の進取の精神が地域づくりのバックボーンとなると確信します。

この生誕200年の節目の年に、その偉業を後世に伝え、再び佐賀人の自信と誇りを取り戻すため、私たちはここに銅像再建事業の全県的な取り組みを提唱します。直正公によって創設された三重津海軍所跡の世界遺産登録に多くの県民の期待が集まる今こそ、新たな佐賀のランドマーク、精神的な象徴として、銅像の再建は時宜を得たメモリアル事業となるはずです。

銅像は人々が先覚者の精神や息吹にふれ、過去の偉業を讃えるだけのものではありません。幕末期における佐賀の改革の中心には常に直正公の存在があり、その直正公をアピールすることこそが時代を超えて佐賀の先進性を情報発信することにつながるはずです。銅像再建後は佐賀県に寄贈し、新たな観光資源やまちづくりのシンボルとして、また、あすへの飛躍の礎として地域の活性化や浮揚に寄与すると考えます。

つきましては、何とぞご理解とご賛同をいただき、銅像再建のための募金にご協力を賜りますよう心からお願い申し上げます。

平成26年7月吉日

鍋島直正公銅像再建委員会
会長 井田 出海

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